赤からはじまる、古代日本の化粧。
『朱丹を以って其の身体に塗る』呪術的な意味を持つ古代日本の化粧。
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前回の 『美容』と『化粧』の歴史をひもとく が好評だったようで…
調子に乗って第2弾!
またまたコスメと歴史探求のお時間にお付き合いください♪
さて、今回は日本の化粧のはじまりに迫ります!
化粧には身だしなみや自己表現、
社会的地位を示すなど色々な目的がありますが
古代社会においては呪術的な役割も大変重要なものでした。
古代中国の歴史書『魏志倭人伝』には
「朱丹を以って其の身体に塗る、
中国の粉(おしろい)を用うるが如し」
の記述があるように
古代の日本では顔や身体に赤い顔料を
塗っていたと伝えられています。
古墳時代の人物を模した埴輪や
古墳内部の壁面にも
赤い彩色を施したものが見つかっています。
燃え盛る炎の色、身体をめぐりほとばしる血液の色、
生命を象徴する色…。
赤という色に呪術的な意味合いが強かったのでしょう。
鉛粉(鉛白粉)を喜ばれた持統天皇。
時代は下がって、飛鳥時代。
日本は大陸との交流のなかで、
様々な知識や技術・文化を取り入れていきます。
その中で、鉛から白粉をつくる技術ももたらされたと考えられます。
奈良の元興寺の僧侶・観成が「鉛粉」をつくって
持統天皇に献上。
その白粉を持統天皇は誉め、
観成にほうびを与えたと記録されています。
これまで日本には米や粟の粉でつくった白粉が
あったとされているので、
大陸伝来の方法でつくられた鉛白粉は、
ことのほか優れたものだったのでしょう。
ほうびを与えた、というところに
持統天皇の女心を感じたのは私だけではないはずです。
数世紀にわたって
呪術的な赤の化粧から
高貴さを象徴する白の化粧への変遷。
それは倭国から日本へと変革していく
国のかたちにも重なるようです。
日本書紀に
『深沈にして大度あり(冷静沈着にして度量が大きい』
と記された持統天皇。
鉛白粉の清らかな白さは
夫・天武天皇の遺志を継ぎ
律令国家建設に力を振るった
女帝を神々しく演出したのかもしれません。
※参考文献:山村博美著 『化粧の日本史 美意識の移りかわり』吉川弘文館
平松隆円著『化粧にみる日本文化ーだれのためによそおうのか?』水曜社